上関原発田ノ浦監視小屋の撤去。つまり・・・・・

上関現地組より送られてきたメールを転送です。

上関原発田ノ浦埋立監視行動57号現地情報(最終号)(2011年7月24日(日)  

上関原発建設埋立工事が3・11福島原発事故以来中断しています。地質調査を1月からやっていて、中断はしませんでしたが、6月27日を最後に終了しました。この間、たくさんの団体から「上関原発中止」の申し出がありましたが、中国電力は、止めるとは言わず、依然として「電力の安定供給、経済性、温暖化防止」を盾に、すきあらば、推進する姿勢はくずしていません。 3・11以後は、山口県の市町村では上関原発の建設に待ったをかけるようになりました。

5月27日、「上関原発中止」の周南市議会の最初決議を皮切りに、「凍結を求める」議会決議が、下松市、柳井市、宇部市、山口市、岩国市、防府市、光市、山陽小野田市、周防大島町、田布施町、平生町で行われ、7月8日には山口県議会でも意見書が採択されました。一方、山口県知事は6月議会の答弁で、「国のエネルギー政策が見直されることになり、したがって原発による土地利用も不透明になってきたので、このような状態が続く限り、埋立て延長の申請があっても、認めるわけにはいかない」と表明しました。 
現状では埋立免許の切れる来年の10月22日までは、工事は再開されない状況なので、上関原発の工事はあり得ないことになってきます。 
そんなこともあり、これ以上田ノ浦での抗議行動をする必要もなく、中電にも工事用の施設(仮桟橋、オイルヘンス、ブイなど)の撤去をしてもらうために、田ノ浦にあるテント等を取り除くことになりました。 

7月23日(土)の朝早くから、祝島島民の方約30名、カヤック隊を中心に、その他支援者(広島からは3名)の60名以上が浜に集まり、海岸を元に復帰しました。島民の方は10時には帰られ、残った者たちで最後の片付けをして、グループごとに集まり話が弾み、夏の暑い日差しの中で、この間の長い厳しい闘いを思い起こしました。祝島の漁船の抗議行動がなかったら、浜での抗議を止めていったら、今は、海は埋め立てられ無残なすがたになっていたと思うと、本当によかったというのがみんなの思いでした。静かな海に漁船がでて釣りをしていたり、さわやかな風が浜を吹き渡っていきました。 

集いの家の住人で、浜での抗議行動を担ってきたKさんは、持ち前の技術でテント小屋を建てたり、抗議行動がしやすいように、町道の坂道に手すりを付けたり。若者達の相談役でもあり指揮者でもありました。作業員が撤去に来るたびに大きな声で抗議をして先頭にいました。壊されれば「倍にして返す」と、最後は、テント小屋を3つも浜に建ててしまいました。
「国からの新規立地の白紙表明で、周辺自治体から白紙撤回、凍結をいわれ、ここで浜をきれいにして、中電さんには桟橋の撤去をしてもらいたいという考えで、私どもも引き上げた。国の対応を見ながら。白紙撤回にこだわっていく、他の原発も撤回してもらいたい」との話でした。 
早い上関原発の完全中止と全ての原発の運転停止廃炉にむけて、次なる行動を起こしたいと思います。今回をもって上関原発田ノ浦埋立監視行動現地情報は終わりにします。ありがとうございました。

転送ここまで。

今週、上関原発田ノ浦監視小屋が撤去されました。つまり・・・・・

上関に関しては、現状は「建設工事の続行不可能」な状況を迎えました。
今の所は工事は完全に停止した模様です。


本来なら、嬉しい知らせな筈やけど、福島での事故を経てのこの決定。
福島周辺の方々の心労を考えると両手離しでは喜べない。

原発推進計画自体が完全に中止と決まった訳でもないですから。

次のゴール、我らが住む九州玄海原発再稼動の問題へ向け上関からパスが回ってきた!

こちらは、「阻止活動」ってよりは、ネット・メディア内の「情報戦」の様相を呈していますが。

ともかく!祝島の方々、カヤック隊、現地支援者の方々、ここまで本当にありがとう。

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