今年も「三島村特攻平和祈念祭」へ。

にじのこまつりからの、熊本八代のパスコアールグルーポの音響を終え、そのまま一気に鹿児島港へ。

そうです、毎年恒例の「三島村特攻平和祈念祭」へ参列のためクルマを走らせます。

そもそもなぜ「三島村特攻平和祈念祭」なのかと言うと、実はワタクシ「特攻遺族」なのです。
私の母の兄弟の上から二番目の叔父が(長男は家督維持の為、通常特攻は次男が行くそうで)鹿児島県三島村付近で墜落。

遺体が流れ着いたのがこの黒島だったという訳です。

太平洋戦争の死者230万人(諸説あり)の中の、特攻関連死者6500人(諸説あり)の中の、この黒島に流れ着いたわずか数人の中の一人が「佐野義人」さんだった訳です。

これもまた御縁ですね。

出航時には桜島も噴火。
しかもドラゴン出てきました。


黒島へは鹿児島港からフェリーで6時間。
フェリーからだと、到着前に叔父の義人が漂着した「小平瀬」が見えます。
手を合わせ黙祷をしつつ、黒島に入島です。


この黒島に生きて漂着した元特攻隊の江名さんが心血を注ぎ建立したこの黒島平和公園にて今年も祈念祭が執り行われます。


今年は、海上自衛隊の哨戒機による慰霊飛行が行われました。



夕方からは会場を移して、懇親会です。
大里小中学校の生徒によるジャンベ演奏と、「翼をください」の合唱。

この「翼をください」がまた.....
この慰霊祭に、この曲を選曲した方、天才です。


さて翌日からの二日間は、黒島にて大自然アドベンチャー三昧。



わざわざ車に積んで持ってきたカヤックで、島の方に貸して頂いたボートで、黒島の海を攻めまくります。





アカハタ、アザハタ類やコブダイ類のカンムリベラなどをライトジギングで。

そして、時折起こるナブラにジグをブッ込んで見れば....


多分、サワラなのかバラクーダなのか、細めの青物メーターオーバーが大暴れして、10キロのブリが余裕で上がるはずのアシストラインぶっちぎられ。
しかも、カヤックの少し先で80センチ位の磯カツオのナブラも目視しました。

釣った魚は、島に伝わる伝統調理法「ヤン切り」で頂きます。
包丁で魚をブツ切りにし、同じく包丁で作った竹串に刺して、竹で表面を炙る。



島名産の大名たけの天ぷらも頂き、豪華な三島尽くしが出来上がりました。

いよいよ帰る最終日。
出航の際に船を一本遅らせた私たちを見送るためだけに島中の皆さんが港に集まってくれました。


島の方々と私たちの間に虹の川ができます。

そして、島の小学生たちと、交互に呼び合う言葉は「あしたよなあ」。

島から本土に帰って行く、決して翌日は会わないであろう旅人に「あしたよなあ(またすぐに会おうね)」だ。
毎回、声を張り上げながらも、何かが込み上げる瞬間。

私の親族である佐野義人さんが残してくれた不思議な縁。
俺は誰にこのバトンを渡すことができるだろうか?

この腐ったご時世、本当に人間の心の素晴らしさに出会えるこの島旅のバトンを、それを必要とするできるだけ多くの人に伝えたい。

第二の故郷、三島村黒島。
当然ながら、またすぐに来ます。

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